てぃーだブログ › 日本のこと › 歴史 › 村山談話のアホらしさ

2009年05月19日

村山談話のアホらしさ

 
まずこの動画を見ていただきたい。

 ミクロネシアの小国、パラオの話である。
 


 これを見て「村山談話は正しい」といえる
人間がいたらそいつは間違いなく極左である。
大体において、日本は「植民地」といえるようなものはほぼない。
 あるとすれば満州、朝鮮、台湾くらいのものである。
あとはいわゆる「信託統治」である。
 これはつまり国連の管理下で日本が統治を行っていたのである。
したがって、これは欧米的な意味での「植民地」ではないと思う。
 また、戦中の「八紘一宇」の思想は現代にも通用する立派なアジア論である。
「天下をひとつの家と為す」という意味であるが、この思想自体は間違っていない。
むしろ、日本の占領政策は欧米よりはるかに人間的だった。
インフラ整備を最優先し、学校のないところには学校を建て、
地元の人間を迫害しないということが当然のように行われていた。
 欧米の占領政策はまず宗教で現地の人間を洗脳し、そしてさらにその国
の文化まで捨てさせてしまうといった極端なものであり、現地人は奴隷のごとく扱われていたという。
 このことだけを見ても、日本は「八紘一宇」で真面目にやっていた。
これは満州で叫ばれた「五族協和」の延長である。
欧米の場合、現地人のことなんかひとつも考えていない。
現在でも東南アジアやミクロネシアのほう行くと日本語しゃべる老人が結構居るそうだ。
欧米の植民地は現地語がほとんど抹殺されたが、旧日本領だったところはすべて現地語が残っている。
これは日本の方針が間違っていなかったことを示す最高の事例である。

 マレーシアのマハティール元首相の演説を引用しよう。

過去のヨーロッパ中心の世界では、東アジアとはすなわち極東だった。
そして極東は、異国情緒あふれる中国と竜のイメージ、
お茶、アヘン、高級シルク、風変わりな習慣を持った珍しい人々など、
奇妙で神秘的な印象を思い起こさせる場所だった。 

いまや極東は東アジアになり、気の毒だがヨーロッパのロマンチストの興味の対象は減った。
その代わりに政治家、エコノミストの関心の的になっている。
ヨーロッパがアジアに対して懸念を抱いている事実は、この地域が、
すでに今世紀前半の日本軍国主義以上に深刻な脅威になっていることを示唆している。
こうした見方の底流には、不信感と恐怖がある。
その理由は、東アジアの人々が自分たちとほ異なっている、つまりヨ一ロッパ人ではないという点にある。

そのため、策2次大戦後の枢軸国であったヨーロッパのドイツとイタリアが平和国家となって復興、
繁栄するのは応援、歓迎されたのに、同じように平和国家となった日本と極東の「小さな日本」の
経済発展はあまり歓迎されないように見える。
それどころか、ヨーロッパとヨーロッパ社会を移植したアメリカはともに、さまざまな手段を使って
東アジア諸国の成長を抑え込もうとしてきた。西側の民主主義モデルの押しつけにとどまらず、
あからさまに東アジア諸国の経済の競争力を削ごうとしてきた。

これは不幸なことである。東アジアの開発アプローチから世界は多くのことを学んできた。
日本は、軍国主義が非生産的であることを理解し、その高い技術とエネルギーを、
貧者も金持ちも同じように快適に暮らせる社会の建設に注いできた。
質を落とすことなくコストを削減することに成功し、かつては贅沢品だったもの
を誰でも利用できるようにしたのは日本人である。
まさに魔法も使わずに、奇跡とも言える成果を創り出したのだ。

日本の存在しない世界を想像してみたらよい。
もし日本なかりせば、ヨーロッパとアメリカが世界の工業国を
支配していただろう。欧米が基準と価格を決め、欧米だけに
しか作れない製品を買うために、世界中の国はその価格を押しつけられていただろう。

自国民の生活水準を常に高めようとする欧米諸国は、競争相手がいないため、
コスト上昇分を価格引き上げで賄おうとする可能性が高い。
社会主義と平等主義の考えに基づいて労働組合が妥当だと考える賃金を、いくらでも支払うだろう。
ヨーロッパ人は労組側の要求をすべて認め、その経果、経営側の妥当な要求は無視される。
仕事量は減り、賃金は増えるのでコストは上昇する。

貧しい南側諸国から輸出される原材料品の価格は、買い手が北側の
ヨーロッパ諸国しかないので最低水準に固定される。
その結果、市場における南側諸国の立場は弱まる。
輸出品の価格を引き上げる代わりに、融資と援助が与えられる。
通商条件は常に南側諸国に不利になっているため、貧しい国はます
ます貧しくなり、独立性はいっそう損なわれていく。
さらに厳しい融資条件を課せられて"債務奴隷"の状態に陥る。

北側のヨーロッパのあらゆる製品価格は、おそらく現在の3倍にもなるため、
貧しい南側諸国はテレビやラジオも、今では当たり前の家電製品も買えず、
小規模農家はピックアップトラックや小型自動車も買えないだろう。
一般的に、南側諸国は今より相当低い生活水準を強いられることになるだろう。

南側のいくつかの国の経済開発も、東アジアの強力な工業国家の
誕生もありえなかっただろう。
多国籍企業が安い労働力を求めて南側の国々に投資したのは、
日本と競争せざるをえなくなったからにほかならない。
日本との競争がなければ、開発途上国への投資はなかった。
日本からの投資もないから、成長を刺激する外国からの投資は期待できないことになる。

また、日本と日本のサクセス・ストーリーがなければ、東アジア諸周は
模範にすべきものがなかっただろう。
ヨーロッパが開発・完成させた産業分野では、
自分たちは太刀打ちできないと信じ続けただろう。
東アジアでは高度な産業は無理だった。
せいぜい質の劣る模造品を作るのが開の山だった。
したがって西側が懸念するような「虎」も「竜」も、
すなわち急成長を遂げたアジアの新興工業経済地域
(NIES)も存在しなかっただろう。

東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。
そして他の東アジア諸国はあえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功をとげた。
東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることはなくなった。
いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、実際にそれを証明してみせた。

もし日本なかりせば、世界は全く違う様相を呈していただろう。
富める北側はますます富み、貧しい南側はますます貧しく
なっていたと言っても過言ではない。
北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。
マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、
それを富める工業国の顧客の言い値で売り続けていただろう。

長くなったが以上である。
 こうして評価されているということは、左翼にはさぞかし都合の悪い事実であろう。
 村山談話はこうしたアジアの意見をまったく無視した妄言であると思う。
 日本はいい加減目覚めてほしいものである。





Posted by 琉王 at 20:48│Comments(0)歴史
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 0人
プロフィール
琉王